わが国職業紹介・職業指導の系譜 ―その過去、現在、未来―

第1回 職業紹介・職業指導の源流と発展

I アメリカにおける社会改革と職業紹介・職業指導運動の開始

1 職業紹介・職業指導運動は19世紀初頭アメリカで起こった。

19世紀末から20世紀にかけて、アメリカの鉱工業生産はすでに世界第1であり、急激な工業化と経済成長によって世界を制する大国としての地位を確保していた。
 しかし、その結果様々な人間的、社会的ひずみをも同時にかかえることとなった。工場労働者、賃労働者の急激な増加、農村から都市への人口の急激な流入、移民労働者の大量な流入による多民族化、資本主義の高度化に伴う周期的恐慌、失業、貧困、都市のスラム化などの社会問題の発生がそれである。

これらの諸問題に対処するために、初等教育の普及と充実、工業化社会への労働者の適切な配置、貧困や不平等の是正などの制度の確立と改善などの努力が社会的に求められた。職業という点からこれらの問題に最初に対応した人たちはセッツルメント、宗教団体、博愛的な人権団体などの社会改革者たちであった。これらの人たちは「人は、産業の所有物ではなく、自分で運命を決める人格であり、それを尊重されるべきである」という理念を持って行動を起こしたのである。
 教育学や産業心理学の世界においても、スタンレー・ホール(Hall,S,)の「児童の研究」、ミュンスターベルグ(Munsterberg,H.)の「職業選択と労働効率」、デューイ(Dewey,J.)の「教育の再構築」などが、その理論的根拠を提示し始めてはいたが、職業紹介や職業指導の体系的な理論や手法は、まだ成立してはいなかった。

2 F・パースンズの登場

職業紹介・職業指導に、初めて理論的根拠を与えたのはF・パースンズ(Parsons,F.)で「職業指導の祖」と言われている。
 社会改良主義にたった彼は長い間ボストンでセッツルメント活動にかかわる一方、労働保護立法化にも尽力していた。他方では「単に仕事を見つけるだけでなく、職業を選択することが望ましい」と考え、博愛主義者ショウ(Show,Q,A.)女史らの援助を受け、ボストン、サーレム街の一角に職業局(Vocational Bureau of Boston)を開設した(1909)。そこで彼は実践と経験に基づく職業紹介・職業指導を行い、その内容を「職業の選択(Choosing a Vocation)」(1909)という著書にまとめた。
 その内容は「特性因子理論」として世界で初めて職業紹介・職業指導の理論として現在に至るまで有効な理論として定着している。

3 当時のわが国の対応

20世紀初頭の上述のようなアメリカの動きに対して、我が国の学校、職業行政、産業界はどのような動きを示したのだろうか。まずどんな受入れがあったのか下記に事実を示そう。

① 東京市本所若宮町私立第一無料宿泊所(明治34年 1901)
 ② 同芝美土代町キリスト教救世軍職業紹介所(同上)
 ③ 内務省「失業保護に関する施策要綱」(大正8年 1919)
 ④ 大阪市少年職業相談所設立(大正9年 1920)
 ⑤ 東京市中央職業紹介所内に少年相談所設立(同年)
 ⑥ 職業紹介法施行(大正10年 1921)
 ⑦ 倉敷紡績労働科学研究所設立(大正10年 1921)
 ⑧ 労使協調会産業能率研究所設立(大正12年 1923)
 ⑨ 東京赤坂高等小学校など各地で職業指導の実践(大正12年 1923)
 ⑩ 文部省、職業指導講習会実施(大正11年 1922)
 ⑪ 文部省「児童生徒ノ個性尊重及職業指導ニ関スル件」を訓令(昭和2年 1927)

当時の上記のような我が国の動きを見ると、官民の職業紹介機関、学校、民間産業、文部・内務省の行政、学校教育現場で相当すばやくアメリカで起こった職業紹介・職業指導運動を受け入れていることに驚かされる。

また、その内容の先進性は、あたかも今日の問題をとらえているとさえ言えるような気がするほどである。
 例えば、昭和2年11月25日付文部大臣訓令「児童生徒ノ個性尊重及ビ職業指導ニ関スル件」は、我が国学校教育における職業指導の位置づけを初めて明示した歴史に残る画期的な訓令であった。
 その中身には「学校では平素から児童生徒の個性の調査を行い、その環境をも考慮して、適切な教育を行って各人の長所を発揮させ、職業の選択等に関し懇切周到に指導することが必要である」と、今日の進路指導、キャリア教育のことを言っていると間違うばかりの内容である。

また、東京市、大阪市が設置した職業相談所は、その後太平洋戦争中、戦後を通じて存続し、職業相談はもちろん、テストの開発など今日も活発な職業紹介・職業指導活動を行っている。
 また、民間産業研究に関しても、倉敷紡績労働科学研究所はその後(財)日本労働科学研究所として、労働生理・心理学、労働衛生学、社会科学の3部門の研究を行い今日に至っている。
 アメリカで発した職業紹介・職業指導運動を、我が国はいち早く取り入れ、戦前、戦中、戦後を通じて発展させてきたことに留意しなければならない。

II アメリカにおけるその後の発展

1 職業教育から、キャリア・エデュケーションへ

19世紀初頭開始された職業指導の運動は、アメリカの学校教育のなかで「職業教育」というかたちで発展した。
 19世紀後半、学問中心、エリート主義、現実の生活との遊離など公教育批判が広まる中で、教育行政を中心に専門的農業教育を推進するモリル法(Morrill Act,1862)、公立学校での商業科導入の提案(教育長官イートン 1871)、AFLなど労働組合の労働教育、スミス・フューズ法(Smith-Hughes ACT 1917)などの立法が次々と行われた。
 しかし、この時代の職業教育は、職業指導という観点から見ると、ガイダンスというよりも情報提供に留まっていたように思われる。

その後20世紀後半に入ると、キャリア教育という今日我が国教育においても最も重要な課題となっている問題に発展する。
 それは1971年当時の教育長官マーランド(Marland,S.)が提唱した「キャリア・エデュケーション」である。それは幼稚園から成人教育までの教育全体を、キャリア発達の観点から再編成しようとする一大教育改革であった。その要点は児童から成人のすべての人に①基礎技術、②試行、判断、意志決定の能力と技術、及び③職業技術の3つの技術をつけさせようとする国を挙げての壮大な計画であった。

このキャリア・エデュケーションは、連邦教育モデル、使用者モデル、家庭・コミュニティモデル、地域モデルなど多様なものがあり、各方面で積極的に展開された。
 キャリア・エデュケーションを生み出した社会的、教育的背景は複合的である。教育投資論、青少年問題の深刻化(失業、非行、ドロップアウト、職業的未成熟など)などが起因していた。
 現在までのところキャリア・エデュケーションの総合的な評価は必ずしも明らかではないが、今日我が国において、中教審「初等中等教育と高等教育の接続の改善について」(2002)以来、教育基本法、学校教育法、大学設置基準・短大設置基準などの改正によって、小学校から大学までのキャリア教育の推進が進められていることに大きな影響を与えたことは間違いない。

2 職業行政における職業指導の進展

職業行政では、1930年代の大不況に刺激された職業訓練プログラムの開発と実施、労働省の職業辞典(DOT: Dictionary of Occupational Titles 1935)の作成、「職業選択と適応に関するミネソタ研究」(ミネソタ大学心理学研究室)などが行われた。さらにその後、兵員の選抜と配置のための各種のテストの開発などに発展した。

DOT(職業辞典)とは、職業分類の結果と各職業の職務の内容をまとめたものである。専ら統計目的に使用する日本標準職業分類や国勢調査に特別に使用する分類と、職業紹介・職業指導に使用する分類がある。現在のわが国職業安定法に「職業紹介事業、労働者の募集及び労働者供給事業に共通して使用されるべき標準職業名を定め、職務解説及び分類表を作成普及すること」(法第15条)と明記されている。アメリカで1930年代にすでにこのことが開始されていたのである。

「職業選択と適応に関するミネソタ研究」は、ミネソタ大学心理学教室のスタッフによって開発された発達プログラムである。その後連邦教育局、ミネソタ州、その他の職業指導に先導的役割を果たした。キャリア発達を支援するときの8項目の基準を明示したもので、幼稚園から高校3年生に至る各学年ごとの具体的職業指導目標を明示した。当時の職業指導の展開に大きな影響を与えたと言われている。
 わが国の行政研究所である職業研究所(現 労働政策研究・研修機構研究所)でも、ミネソタ研究をモデルにして、昭和43年1968年以来12年間にわたる「若年者追跡研究」を行っている。この研 究は対象者17歳、20歳、23歳及び26歳の時点で、2,800人を選び、それぞれ同一人を訪問面接調査を12年間に渡り行ったものである。10回以上の離転職を繰り返す少年の追跡など社会へ大きな話題をもたらした。当時の職業指導・職業紹介のありかたに多くの知見を与え、大きな影響を与えた。これだけの大規模な追跡研究(縦断研究)はわが国でその後も行われていない。

現在、職業紹介・職業指導の実践において自己理解の支援のために多くのテストが使用されている。その分野は能力・適性、興味・パーソナリティ、価値観など広い範囲に渡っている。これらの大部分のものは、この当時からアメリカで開発された各種のテストを基本として日本に導入され標準化されたり、或いはアメリカのテストをモデルとして開発されたものである。

1930年代以来のアメリカで開発された職業紹介・職業指導に使用するテストは、その後わが国に大きな影響を与え今日に至っている。

わが国の職業紹介・職業指導は、アメリカをモデルとして開始された。第1回は、アメリカにおける職業紹介・職業指導の登場と発展について解説した。

《引用・参考文献》

1 独立行政法人 労働政策研究・研修機構労働大学校「職業指導の理論と実際」 平成26年 労働大学校テキスト

2 藤本喜八他編 「進路指導の基礎知識」 1982 福村出版

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